写真左:官軍勇士の墓 写真右:幕軍勇士墓碑 | | |
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■官軍勇士の墓
宮古市内には、宮古港海戦の激闘で命を落とした官軍(新政府軍)と幕軍(旧幕府脱走軍)それぞれの戦死者の墓が残されています。
この墓所には、宮古港海戦で戦死した新政府軍兵士4人がねむっています。墓碑正面に4人の戒名が刻まれ、左右に2名ずつ俗名があります。新政府軍は、鍬ヶ崎に出役していた盛岡藩の役人に4人の埋葬を依頼し、沢田の常安寺に遺体が送られ、この地に埋葬されました。
昭和57年(1982)の墓碑改修工事で、墓の一部から2体の遺骨と副葬品が確認されています。
(宮古市指定文化財 昭和54年)
【銘文】
(正面) 堅道永忠禅居士
閣倫仙勇禅信士
官 軍 廓心義要禅信士
普嶽徳明善信士
(側面) 堅 長州 梅田梅之丞 二十二歳
明治二己年 閣 阿州 六 助 五十六歳
三月廿五日 廓 阿州 甚 吉 四十七歳
各討死 普 阿州 銀次郎 三十六歳
・所在地 中里団地
・問合せ先 宮古市史編さん室(電話:0193-62-6447)
・アクセス 岩手県北バス 宮古駅前→中里団地入口 下車(約15分)、徒歩約15分
■幕軍勇士墓碑
藤原観音堂の幕軍勇士墓碑は海戦後、藤原の海岸に旧幕府脱走軍の士官らしき服装をした遺体が漂着し、地元有志らによって葬られ、七回忌に建てられた墓碑です。
(宮古市指定文化財 昭和54年)
【銘文】
岩船豊吉建之
忠岳義剣居士
明治二年三月二十五日 □人
・所在地 藤原3-6-7 藤原観音堂
・問合せ先 宮古市史編さん室(電話:0193-62-6447)
・アクセス 岩手県北バス 宮古駅前→藤原三丁目 下車(約7分)、徒歩約3分