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鳥取春陽展示ホール

更新日: 2011年2月10日
大正・昭和初期の.gif

鳥取春陽(本名・貫一)は、明治33年(1900年)刈屋村(現在の宮古市刈屋)北山に生まれました。7歳のとき刈屋尋常小学校へ入学、片道1時間余りの道をハーモニカを吹きながら通学しました。しかし、11歳のときに家業の製糸工場が倒産してしまいます。
13歳で同高等小学校に進学しましたが、14歳のとき学業半ばで東京へ出奔し、上京後演歌師となり添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の強い影響を受けました。17歳より作曲活動に入り「浮草の旅」(シーハイルの歌)、「失恋の唄」などを作曲しました。
大正11年には「籠の鳥」(かごのとり)をレコード化して大ヒットとなり、この「籠の鳥」は大正13年には映画化(帝国キネマ制作)されました。
大正15年には日本初のレコード会社専属(歌手・作曲)としてオリエントレコードと契約し、「船頭小唄」や「馬賊の唄」を吹き込み大変な人気を博しました。
彼の作曲活動は演歌のみにとどまらず、新民謡、歌劇、ジャズをも手がけるなど幅広い活動を続けました。
昭和7年1月16日、結核を患い大阪市住吉区の借家で、春陽は31年の短い生涯を終えました。
春陽写真1.jpg

春陽関係資料紹介
※下記添付ファイルをご覧ください。

春陽写真2.jpg

Syunyo.Tottori. 1900-1932

添付ファイル

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