官軍勇士の墓・幕軍勇士墓碑

更新日:2025年03月28日

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左:墓石が長方形で横に卒塔婆がある官軍勇士の墓の写真、右:角が丸くなった墓石の前に白い湯呑が2ケ供えられている幕軍勇士墓碑を正面から写した写真

写真左:官軍勇士の墓 写真右:幕軍勇士墓碑

官軍勇士の墓

宮古市内には、宮古港海戦の激闘で命を落とした官軍(新政府軍)と幕軍(旧幕府脱走軍)それぞれの戦死者の墓が残されています。
この墓所には、宮古港海戦で戦死した新政府軍兵士4人がねむっています。墓碑正面に4人の戒名が刻まれ、左右に2名ずつ俗名があります。新政府軍は、鍬ヶ崎に出役していた盛岡藩の役人に4人の埋葬を依頼し、沢田の常安寺に遺体が送られ、この地に埋葬されました。
昭和57年(1982)の墓碑改修工事で、墓の一部から2体の遺骨と副葬品が確認されています。

宮古市指定文化財昭和54年

銘文

正面

官軍

  • 堅道永忠禅居士
  • 閣倫仙勇禅信士
  • 廓心義要禅信士
  • 普嶽徳明善信士
側面

明治二己年三月廿五日各討死

  • 堅 長州 梅田梅之丞 二十二歳
  • 閣 阿州 六助 五十六歳
  • 廓 阿州 甚吉 四十七歳
  • 普 阿州 銀次郎 三十六歳

所在地

中里団地

問合せ先

宮古市史編さん室(電話:0193-62-6447)

アクセス

岩手県北バス 宮古駅前 → 中里団地入口 下車(約15分)、徒歩約15分

幕軍勇士墓碑

藤原観音堂の幕軍勇士墓碑は海戦後、藤原の海岸に旧幕府脱走軍の士官らしき服装をした遺体が漂着し、地元有志らによって葬られ、七回忌に建てられた墓碑です。

宮古市指定文化財 昭和54年

銘文

岩船豊吉建之
忠岳義剣居士
明治二年三月二十五日 □人

所在地

藤原3-6-7 藤原観音堂

問合せ先

宮古市史編さん室(電話:0193-62-6447)

アクセス

岩手県北バス 宮古駅前→藤原三丁目 下車(約7分)、徒歩約3分

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