宮古の歴史シリーズ 製鉄編

更新日:2026年02月05日

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鉄の町「宮古」?

岩手県で鉄といえば、釜石市が有名ですが、その昔は宮古も鉄の町といえるほど、鉄と関わりの深い町でした。

宮古と鉄の関わりについて、Q&A方式で見ていきましょう!

Q. 鉄とは?

鉄は私たちにとって、特に身近な金属のひとつです。鍋やフライパン、フォークやスプーン、車や電車、学校やお家など建物、スマートフォンやパソコンなどに使われ、生活の一部となっています。

地球の内部の約30%は鉄であるといわれ、火山活動によりたびたび地表に現れ、人間の生活に利用されてきました。人類が鉄を使用(加工)し始めたのは約5,000年前で、日本にその技術が伝わったのは約2,000年前の弥生時代とされています。その後、日本で鉄を作る技術が独自に進化し、世界でも類を見ない日本刀などが作られるようになります。

日本刀

日本刀(辻 和宏氏作成)

Q. 宮古に製鉄が伝わったのはいつ?

記録は残っていませんが、宮古周辺の平安時代(約1,000年前)の遺跡からは鉄を作っていた痕跡や鉄を加工した痕跡、加工した鉄の破片が見つかっています。よって少なくとも平安時代には鉄作りの技術が伝わっていた考えられます。

製鉄炉

製鉄炉(青猿1遺跡)

Q. 昔から鉄を作っていたのは宮古だけ?

平安時代に鉄を作っていたのは宮古だけではなく、三陸沿岸の各地域で鉄を作っていた痕跡が残っています。東日本大震災後の復興調査で見つかった鉄生産に関わる遺跡の分布図を見てみると、その中でも宮古市と山田町に集中していることも分かります。

分布図

復興調査で見つかった鉄生産遺跡

Q. 宮古が鉄を作るのに適していた理由とは?

宮古や山田で古代の鉄作りが盛んに行われた理由として、1、砂鉄がたくさん採れた、2、木材が豊富だった、3、海を使った交易がしやすかったことが推測されます。特に砂鉄は、現在でも河川や河口で豊富に採取することができます。鉄を多く含むマグマ由来の岩石「花崗岩」が宮古周辺に分布しているのもその理由のひとつだと考えられています。

地質図

岩手県の地質図(宮古市文化財保存活用地域計画より(一部改変))

Q. 宮古に高炉を造る計画があった?

釜石には良質な鉄鉱山があることから幕末に橋野高炉が建てられ、近代にかけて岩手県や日本の製鉄を牽引してきました。高炉の廃業後は昭和23年に国の史跡に指定され、平成27年には世界遺産にも認定され、「鉄の町 釜石」を象徴する史跡となっています。

実は江戸時代の終わりに南部藩は宮古の近内に「近内製鉄場」を造る計画を打ち出していましたが、明治維新を経て中止となりました。南部藩から反射炉(鉄鋼場)を作る場所として選ばれるほど、宮古は大量の砂鉄と交通に恵まれた場所だったと考えられます。

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