義経北行伝説

更新日:2026年01月13日

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義経は生きのびて北へ?
今に残る足跡は、夢か現実か。

沿岸の場所とその場所にある神社、お寺が記載してある地図のイラスト

史実は「平泉で自刃」だが…

幼時は牛若丸として、長じては勇将・九郎判官義経(1159〜1189)。奥州藤原氏のもとに身をよせていたことなどから東北とのゆかりの深い武将です。
兄・源頼朝のために数々の武勲をたてながら、その才ゆえに疎まれて命をねらわれ、平泉で自刃。短い生涯を終えました。
ところがこの史実に対し、「平泉で自害したのは実は家臣で、義経は北へ逃げ延びたのではないか」という説が、今も根強く残っています。

800年前の幻に出会う旅

事実、東北各地にそれを裏付けるような伝説が数多く伝えられており、義経一行が立ち寄ったり滞在したとされる社寺・屋敷はかなりの数にのぼります。
義経は宮古にも長く滞在したとされており、ゆかりの伝説も豊富です。
800年以上の時を越えて、私たちに夢を与えてくれる悲運のヒーロー義経。その幻に会いに、伝説のルートをたどってみませんか。

宮古市内の『義経北行伝説』主要スポット

まわりが木々に覆われた横山八幡宮を正面から撮影した写真

横山八幡宮

義経主従が参詣に訪れ、宿泊したとされる。
随行の家臣・鈴木三郎重家は、老齢でもあったためここに残留。 名を重三郎と変え、この八幡宮の神主となったという。
(宮古市宮町 宮古駅から徒歩10分)

まわりが木々で覆われた判官稲荷神社を斜めから撮影した写真

判官稲荷神社

黒森山を出て北へ向かった義経の徳をしのび、その甲冑を埋めた上に祠がたてられた。 それがこの判官稲荷神社。源義経が祭神になっている。
(宮古市沢田 宮古駅から徒歩15分)

大きな2本の木の間から見える黒森神社を撮影した写真

黒森神社

義経主従は3年3ヵ月にわたって黒森山に籠もって行を修め、般若経六百巻を写経して奉納した。
「黒森」は「九郎森」から転じた名であるといわれている。
(宮古市山口 宮古駅から車で10分)

背景に多くの木が生い茂っている久昌寺を斜めから撮影した写真

久昌寺

源氏の一族である源義里がここに居館を構えており、義経一行が立ち寄ったといわれている。
(宮古市田代 宮古駅から車で約30分)

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