津軽石区域の歴史(盛合家)
盛合家
盛合家は、江戸時代中期から廻船問屋として持ち船「明神丸」「虎一丸」によって江戸商人と交易を行い、酒造業や金融業などを営む商家として発展しました。1774(安永3)年に武士の身分を与えられ、正式に盛合姓を名乗って三陸沿岸を代表する名家、上流商家へと成長します。
1801(享和元)年に伊能忠敬測量人一行が宿泊するなど、数多くの文人墨客が訪れ、多くの書句や絵画が座敷の屏風・衝立などに残されています。
◆盛合家住宅
盛合家住宅
盛合家は商家と武士の身分をもっていたため、家屋は商家造りと武家造りが一体となった全国的に珍しい建築様式となっています。江戸時代中期の建築で、商家造りの「見世」「仏間」は栗材で太く重厚に造られています。一方で、武家造りの「玄関間」「御居間(御座敷)」などは桧を使い上品に設えています。「御居間」の縁側に軒深い庇がかかり、翠の束石を用いており家屋と庭園の一体感が特徴となっています。
指定等:国登録有形文化財 建造物
指定日:平成19年10月22日
場 所:宮古市津軽石第4地割18
その他:見学の際は要連絡
(0193-65-7526)
盛合氏庭園
門馬神楽の面(所蔵:北上山地民俗資料館)
近世から近代に三陸随一の豪商に成長を遂げた盛合氏の住宅池泉庭園です。1797(寛政9)年の藩主南部利敬による領内巡視の際に、盛合家住宅が宿所として使用されるのを契機に整備されました。主屋の南面に広がる庭園は江戸から造園師を招いて造らせたと言い伝えられ、「心字ヶ池」の中央に亀石を配しています。池泉は石組で護岸されており周囲にサツキやツツジを配し、背後には築山が築かれています。南西の隅に枯滝石組があり、池泉には小さなスズキなど魚類が放たれていたといわれています。18世紀末から19世紀にかけて三陸沿岸に伝わった庭園文化をうかがえる貴重な庭園といえるでしょう。
指定等:国登録記念物 名勝
指定日:平成24年1月24日
場 所:宮古市津軽石第4地割18
その他:見学の際は要連絡
(0193-65-7526)
盛合魯斎
盛合魯斎の墓
江戸後期~末期の当主・魯斎は、学者・教育者として活躍しました。青年時代に盛岡で文武の修行に励み、帰郷後は多くの漢学者や文人を盛合家に招いて学び、学問のみならず詩文や書画にも優れた人物となります。同時に山崎友仙(鯢山の兄)や文道貫機(津軽石の瑞雲寺17世住職)とともに地域の青少年たちを集めて文武の教育を行いました。この3人は当時、「閉伊の三傑」と呼ばれて人々の尊敬を集めました。
また凶作の際、魯斎は米蔵を開放して津軽石のみならず近隣の村民たちにも分け与え、多くの人々を飢えから救ったと伝えられています。慶応2年(1866)6月12日、数え年57歳で没。津軽石の盛合家歴代墓地に眠っています。
場所:宮古市津軽石
この記事に関するお問い合わせ先
交流推進部 スポーツ文化課
〒027-8501
岩手県宮古市宮町一丁目1-30
電話番号:0193‐62‐2111




更新日:2026年06月10日