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義経北行伝説

更新日: 2024年1月18日

義経は生きのびて北へ?
今に残る足跡は、夢か現実か。

史実は「平泉で自刃」だが・・・

幼時は牛若丸として、長じては勇将・九郎判官義経(1159〜1189)。奥州藤原氏のもとに身をよせていたことなどから東北とのゆかりの深い武将です。
兄・源頼朝のために数々の武勲をたてながら、その才ゆえに疎まれて命をねらわれ、平泉で自刃。短い生涯を終えました。
ところがこの史実に対し、「平泉で自害したのは実は家臣で、義経は北へ逃げ延びたのではないか」という説が、今も根強く残っています。

800年前の幻に出会う旅

事実、東北各地にそれを裏付けるような伝説が数多く伝えられており、義経一行が立ち寄ったり滞在したとされる社寺・屋敷はかなりの数にのぼります。
岩手県の「伝説・義経北行コース」は、県内に残る義経の逃避行の足跡36ヵ所をたどる道行き。義経は宮古にも長く滞在したとされており、ゆかりの伝説も豊富です。
800年以上の時を越えて、私たちに夢を与えてくれる悲運のヒーロー義経。その幻に会いに、伝説のルートをたどってみませんか。

宮古市内の『義経北行伝説』主要スポット

義経北行伝説2.jpg横山八幡宮

義経主従が参詣に訪れ、宿泊したとされる。
随行の家臣・鈴木三郎重家は、老齢でもあったためここに残留。 名を重三郎と変え、この八幡宮の神主となったという。
(宮古市宮町 宮古駅から徒歩10分)
義経北行伝説4.jpg判官稲荷神社

黒森山を出て北へ向かった義経の徳をしのび、その甲冑を埋めた上に祠がたてられた。 それがこの判官稲荷神社。源義経が祭神になっている。
(宮古市沢田 宮古駅から徒歩15分)
義経北行伝説3.jpg黒森神社

義経主従は3年3ヵ月にわたって黒森山に籠もって行を修め、般若経六百巻を写経して奉納した。
「黒森」は「九郎森」から転じた名であるといわれている。
(宮古市山口 宮古駅から車で10分)

義経北行伝説5.jpg久昌寺

源氏の一族である源義里がここに居館を構えており、義経一行が立ち寄ったといわれている。
(宮古市田代 宮古駅から車で約30分)
義経北行伝説バナー.JPG「義経北行伝説ドライブガイド 義経は北へ」
義経北行伝説ドライブガイドのホームページへリンクしています。
(岩手県県北広域振興局、岩手県沿岸広域振興局作成)

お問い合わせ

産業振興部観光課
電話: 0193-62-2111ファクス: 0193-63-9120

宮古市役所
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