鳥取春陽展示ホール

更新日:2024年12月23日

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大正・昭和初期の演歌師・作曲鳥取春陽(とっとりしゅんよう)
黒い服で首元から白いタートルネックを着ている少し笑みを浮かべた鳥取春陽のモノクロ写真

鳥取春陽(本名・貫一)は、明治33年(1900年)刈屋村(現在の宮古市刈屋)北山に生まれました。7歳のとき刈屋尋常小学校へ入学、片道1時間余りの道をハーモニカを吹きながら通学しました。しかし、11歳のときに家業の製糸工場が倒産してしまいます。
13歳で同高等小学校に進学しましたが、14歳のとき学業半ばで東京へ出奔し、上京後演歌師となり添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の強い影響を受けました。17歳より作曲活動に入り「浮草の旅」(シーハイルの歌)、「失恋の唄」などを作曲しました。
大正11年には「籠の鳥」(かごのとり)をレコード化して大ヒットとなり、この籠の鳥は大正13年には映画化(帝国キネマ制作)されました。
大正15年には日本初のレコード会社専属(歌手・作曲)としてオリエントレコードと契約し、「船頭小唄」や「馬賊の唄」を吹き込み大変な人気を博しました。
彼の作曲活動は演歌のみにとどまらず、新民謡、歌劇、ジャズをも手がけるなど幅広い活動を続けました。
昭和7年1月16日、結核を患い大阪市住吉区の借家で、春陽は31年の短い生涯を終えました。

添付ファイル

チェック柄のネクタイにスーツ姿の鳥取春陽のモノクロ写真

Syunyo.Tottori. 1900-1932

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