自然の恵みと共に生きる縄文文化

更新日:2025年12月26日

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森・川・海の恵みと共生する縄文文化

ストーリーの構成

(1)海の恩恵を受けた縄文貝塚

(2)近内中村遺跡からみえてくる縄文人の祈りと暮らし

海の恩恵を受けた縄文貝塚

世界でも有数の豊かな漁場であり、自然に恵まれた三陸沿岸部の環境は、縄文人たちも当然利用していました。貝塚は、数千年前の貝殻や魚の骨、動物の骨、ドングリなどのほか、骨や角で作られた道具である(こっ)角器(かくき)が出土するという特徴があります。本市では、「崎山貝塚」や「磯鶏蝦夷森貝塚」をはじめとする15遺跡で貝塚が確認されています。「崎山貝塚」からは、岩礁地帯に生息するアイナメ・タナゴ、外洋性のマグロやカツオなどの大型回遊魚からイワシなどの小魚まで、40種近いの魚類の骨が出土しています。また、オットセイやクジラの骨も確認されています。大量のウニの殻や(とげ)が出土していることが「崎山貝塚」の大きな特徴です。

崎山貝塚

上空からみた崎山貝塚

これらの海の恵みを獲得するため、ニホンジカの角と骨を利用した、角製の釣り針や擬似(ぎじ)(ばり)、骨製の銛頭(もりがしら)などの骨角器も出土しています。こうした漁具の基本的な形状は、現代とほとんど変わらず、素材は金属へと移り変わっていきました。縄文時代の道具は現代の漁業で使っている道具へとつながっていったといえます。

昭和30年代までは、北洋のサケマス漁やサンマ棒受網漁の基地として全国から漁船が集結するなど、宮古港は大いに賑わいました。豊かな海の恵みを受けた縄文人の暮らしがみられる貝塚に、水産業のまちとして発展してきた宮古の原点をみることができます。

骨角器

骨角器

近内中村遺跡からみえてくる縄文人の祈りと暮らし

近内中村遺跡は、近内地区にある縄文時代早期から晩期までの縄文遺跡です。特に市内では数が少ない縄文時代後期後半から晩期(およそ3,500年~2,500年前)にかけての大規模な集落跡が見つかっています。全国的に見ても出土事例の希少な、(かん)(けい)品の巻貝形(まきがいがた)土器(どき)が出土したことで注目されました。巻貝形土器は全長23.5センチメートルもあり、本物の巻き貝を真似て作ったものと考えられ、現生の巻き貝ではほとんど見られない左巻きの作りになっています。直径約3mの竪穴状遺構から土偶の頭部片と小さなイノシシ形土製品とともに出土しており、何らかの祭祀(さいし)儀礼に使われたと推測されます。

巻貝形土器

巻貝形土器

この他、縄文人が祈りや信仰のために、意図的に大小の石を並べたり組んだりして作ったはいせき遺構いこうも確認されています。さらに、配石遺構と重なるように、主にシカやイノシシの骨が集中的に広がるじゅうこつブロックも見つかっています。この獣骨ブロックからは、ツキノワグマの犬歯に穿孔せんこうを施した垂飾品すいしょくひんが8本出土していることや、獣骨の上顎じょうがく下顎骨かがくこつを中心とした頭部の骨が多く見られたことなどから、祭祀儀礼の場と考えられます。縄文時代後期後半の墓も多数検出され、その墓域は、竪穴建物とは重なり合わず、居住域に隣接して形成されていました。単に穴を掘っただけのこうのほか、香炉形こうろがた土器やちゅうこう土器、壺形つぼがた土器などの完形土器を置いたもの、上面を多量の石で覆ったもの、大きな石を置いただけのもの、ふか鉢形ばちがた土器を埋設まいせつしたもの、さらには縄文人と犬が一緒に埋葬された墓も1基見つかっています。このような多様なタイプの墓の存在は、縄文人の信仰や精神文化を考える上で重要な手掛かりです。

クマの犬歯

ツキノワグマ牙製装飾品

土坑墓の中には、新潟県糸魚川(いといがわ)産のヒスイ小玉が副葬されたものもあり、縄文時代の交易や物流、交流が広範囲で遠方に及ぶことが明らかになっています。

この他、土偶や腕輪状土製品、(せき)(とう)(せき)(ぼう)なども多数出土し、自然の恵みの恩恵を受けた縄文人の精神文化や暮らしを考えていく上で、重要な遺跡のひとつです。

注口土器

注口土器

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