早池峰山麓の暮らしと祈り
森・川・海の暮らしと祈り
ストーリーの構成
(1)北上山地にみる日本列島の起源
(2)希少な生態系
(3)豊富な山林資源と山仕事
(4)もの作り技術の伝承
(5)郷土食と保存食
(6)早池峰信仰と神楽
(1)北上山地にみる日本列島の起源
早池峰山は、4億年以上前に形成された、国内でもとても古い時代の岩石でできており、日本列島の起源を知るうえで重要な場所になっています。現在の北上山地は、1億年以上前(中生代白亜紀後期)から2千万年前(新生代新第三紀)にかけて、長期にわたる侵食を受けた結果、なだらかな地形になり、地下深くにあった岩石が露出するようになりました。
早池峰山麓を源流とする薬師川の流域は、南部北上帯を形成する4億年以上前の海洋プレートの岩石や海底の堆積物を見ることができる貴重な地域です。一方、区界高原を源流とする閉伊川は、本市の大部分をしめる北部北上帯の硬い地層にぶつかるたびに流れをかえて蛇行し、現在の曲がりくねった深い谷をつくりました。腹帯地区の閉伊川流域では、北部北上帯のチャートや混在岩が見られ、大規模な地殻変動の跡を観察することができます。

早池峰山と薬師岳
(2)希少な生態系
早池峰山は、ハヤチネウスユキソウなど固有種や希少種の高山植物が多く、「花の百名山」にも選定され、「早池峰山および薬師岳の高山帯・森林植物群落」に指定されています。また早池峰山北面には、その寒冷な環境と地質によって氷河期の生き残りと考えられる、「アカエゾマツ自生南限地」があります。
兜神社を中心とする区界高原にも希少な動植物が見られ、魅力的な自然観察地です。
(3)豊富な山林資源と山仕事
本市は、北上山地の豊かな山林資源に恵まれ、昔から林業が盛んでした。大正時代に森林軌道で「早池峰ヒバ」と呼ばれる良質な木材が搬出され、江戸時代にさかのぼると「早池峰のひのき」として盛岡城下へ建築材や屋根柾として送られました。また、木材を閉伊川で宮古まで送る流送も行っていました。
岩手県を代表する民謡のひとつ「南部木挽唄」は製材が手作業で行われていた頃の仕事唄です。鉄道枕木の産出が盛んだった明治、大正、昭和初期には、山で杣角造材と製材の両方をこなす「枕木木挽き」が主流でした。また、「木炭王国岩手」といわれた昭和30年代までは、土窯による炭焼きが盛んでした。
夏屋地区は優良な砥石の産地でした。砥石は日常の台所道具に加えて農具や山仕事道具の手入れに欠かせません。かつては夏屋川流域で手掘り採掘され、広く地元で使用されたほか、昭和30年代には「朝日虎印なつや砥」の名称で優れた中砥として全国に流通しました。ほかにも、早池峰山麓の豊富な木材を活かした「小国膳」は外側が黒、内側が朱塗りで猫足が特徴のお膳です。製材から塗りまでの行程が家内工業で行われ、沿岸部まで行商に行っていました。

枕木製作
(4)もの作り技術の伝承
工場で大量生産された機械工業製品が出回るまで、生活や仕事に必要なさまざまな道具が手作りで作られていました。「北上山地川井村の山村生産用具コレクション」をはじめ、収集された有形の民俗文化財は、自然の素材を活かす知恵や技術を物語っています。
(a)樹皮の利用
どんなものを作りたいかによって木や蔓を選び、昔から伝えられてきた技術で樹皮を剥ぎ取りました。剥ぐのに適した時期は「入梅」頃で、だいたい5月から7月初旬までのことでした。シナノキ、ツキノキ、サワグルミ、ヤマブドウなど10種類以上の樹種が利用されました。
(b)わら等の利用
稲わらは柔らかくて保温性にすぐれているので、履物を作る材料にはどうしても必要でした。他にもスゲ、ホウキキビ、ミョウガ、ガマ、カヤ、シノダケなど、さまざまな植物がもの作りに利用されてきました。
(c)繊維の採集と利用
かつては、山野に自生するマダ、マフジ、クゾフジ、アイッコから衣類などを作る繊維を取り出しました。他にもアサやカラムシを栽培して繊維を採取しました。ワタが栽培できない当地では、自家用の繭から紡いだ「ひんだし糸」などが使われました。
(d)さまざまな用具の製作
植物から素材を得るだけでなく、桶やざるの製作には木や竹を巧みに加工して利用しました。「むしろ」を織る台など、ものを作るための専用の道具も自分で手作りしました。自然木の形状や材質を巧みに利用して、「踏み鋤」や「まどり」に加工したり、手作りの道具は使う人の体格や手に合わせて作られました。

樹皮の利用
(5)郷土食と保存食
北上山地の山里で暮らす人々の生活基盤は、山すそを切り開いた畑や、焼き畑で行う雑穀栽培が中心でした。主食となるヒエ、「かて」としたオオムギとダイズを加えた3つの作物を一つの畑で2年かけて栽培していました。自給自足が基本の生活では他にもアワ、ソバ、タカキビなどの雑穀、ダイコン、ジャガイモなどの根菜類が栽培されてきました。日常(ケ)に食べる食事は、ヒエが七分くらいに、オオムギが三分くらいの麦糅飯でした。自家製の味噌を作り、川魚をとって焼いて保存しておきました。さまざまな年中行事の際には、「節句ごっそう」といって、非日常(ハレ)のご馳走を作り、神仏にもお供えしました。食材やしきたりなど、行事食に込められた意味は失われてしまったものもありますが、郷土に根ざしたその土地ならではの文化と言えます。年中行事とともに伝わる行事食は、主に各家庭の味といえます。あわせて地域の人を招く行事もあり、そこでふるまわれる行事食は地域で共有される郷土食ともいえます。

大黒様へのお供え
豊かな山の幸に恵まれる一方で、「やませ」や遅霜の影響による不作に対しても、普段から保存食を作って備えるとともに、山菜や木の実を保存し、加工して食利用にする知恵や技術を伝承していました。食料をやりくりしたり、食い延ばしを図ったりすることを「そうぞく」(相続)といいました。畑の作物はもちろん、山菜・木の実・キノコや川魚といった四季折々の自然の恵みを保存食に加工し、収穫のない長い冬や、次の季節の農繁期を乗り切る工夫をしていました。凍み豆腐や凍みイモは寒冷地ならではの保存食です。
凶作による飢餓に備える救荒食としては、トチやシダミなどの木の実やウルイを干したもの、沿岸部から入手した海藻のメノコなどが蓄えられました。ほかにワラビ根やクズの根など植物の根からでん粉を取り、食用にする技術も伝承されていました。
シダミ(どんぐり)
(6)早池峰信仰と神楽
北上山地の最高峰、早池峰山は、修験者らによる山岳信仰の霊山であるとともに、山麓の里に暮らす人々からも信仰を集めてきました。農民にとっては水源の山として豊作を祈る「農神」であり、また沿岸地方の漁民にとっては航海の目印となる「山当て」として、山仕事や狩猟に携わる人たちにとっては「山の神」として信仰されました。
早池峰山の山頂へ参詣する登山口は、かつて4箇所あり、北側が門馬口、東側が江繋口、南側が遠野口、西側が大迫口でした。それぞれの登山口には修験者がいて、山頂を目指す登山者に同行していました。早池峰山の東の麓にあたる小国地区には、修験善行院の新山堂(現在の関根早池峰神社)があり、漁業関係者から大漁成就や海上安全が祈願されました。北の麓である門馬の早池峰神社を管理した門馬別当妙泉院は、「早池峰のひのき」の山守(現場管理)を務めていました。門馬では早池峰山に登拝する人を「御山掛け」と呼んで、御山掛けの人たちは別当家に宿泊し、門馬早池峰神社から登山していました。
善行院新山堂
岩手県ではユネスコ世界無形文化遺産「早池峰神楽」が有名です。川井地域には早池峰神社が数多く存在し、小国地区の末角神楽と江繫地区の江繫早池峰神楽が現存しています。神楽は小正月に火祭りと称して、火伏せ祈願祭を行っています。
また、本市の南に位置する大槌港と山田港の漁船が太平洋に出ると、早池峰山が航海の目印となり、海からは早池峰山の東側が見えます。その麓にあたる末角・江繋地区の神楽が、大槌町や山田町で神楽を依頼され、海上安全と大漁祈願の舞を上演していました。
この記事に関するお問い合わせ先
教育委員会 文化課
〒027-0097
岩手県宮古市崎山1-16-1
電話番号:0193‐65-7526




更新日:2025年12月26日